「畑は色づいている」加山献牧師
マタイによる福音書9章35節~10章4節
イエスさまは弟子たちに、次のように言われました。「収穫は多いが、働き手が少ない。 だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」
収穫は収穫を約束してくださった神様からきます。実りは神様が与えてくださいますが、そのために働く人が必要でした。イエスさまは人を必要としてくださったのです。弟子たちを、教会を、つまりイエスさまは私たちを必要としてくださったのです。
働き人として呼ばれているのは。牧師や宣教師だけではありません。教会に集められた一人一人もまた、神様の指先として、それぞれの現場に触れていく働き人として召されています。
10章の1節には「イエスは十二人の弟子を呼び寄せた」とあります。イエスさまの方から呼んでくださったのです。ただイエスさまが私たちを憐れみ、私たちに目を留めてくださった結果として、今、私たちはここにいます。私たちもまたキリストの弟子として、働き人として召されています。これ以上の栄誉はありません。
弟子は師の教えを聞きます。「イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝えた」とあります。キリストの弟子はイエスさまが語られたことを聞き、そして、イエスさまが語られたことと同じことを語ります。
弟子は師を真似ていきます。キリストの弟子はイエスさまがなされたことを見、自分の似たものとなっていくように、同じように行います。イエスさまが憐れむ人々を憐れみ、イエスさまが愛しておられる人々を愛していきます。 畑は色づいています。この時代にあって、この教会の任されている働きがあります。そして私たちが手を伸ばして、触れることができる世界が、一人一人に与えられています。