2022年3月13日「その人を、その人として受け入れる」加山献牧師

マタイによる福音書10章40節~11章1節

「預言者を預言者として受け入れる人は、預言者と同じ報いを受け、正しい者を正しい者として受け入れる人は、正しい者と同じ報いを受ける。はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」(41節~42節)

 ここに他者を“受け入れる”ことの大切さが語られています。“受け入れる”とはどういうことでしょうか。それはその人の良い部分だけではなく、悪い部分もひっくるめて、ありのままのその人を受け入れるということです。しばらく誰かとお付き合いしていると、良いところだけではなく、好ましいと思われないところも見えてくるものです。しかしその時にこそ、“受け入れる”ことができるかどうか、真価が問われているのです。

 表面的なお付き合いだけなら、そのような葛藤は決して起きないでしょう。しかし誰かと親しく、親密な関係を結んでいこうとするならば、「泣くものと共に泣き、喜ぶものと共に喜ぶ」生き方を目指すならば、それは避けては通れない道です。

 北森嘉藏という人は次のように言いました。「十字架に示された神の愛は、包むに値しないものを包む神の愛であり、愛するに値しないものを愛する、神の愛である。」もし、私たちがその十字架の愛に倣って生きていこうとするならば、その人の好ましい部分も好ましくない部分も、全部ひっくるめて、受け入れていくということが期待されています。

 私たちは皆それぞれ違っています。その違いを受け入れていくことは難しいものです。しかし私たちがお互いの個性を尊重しあっていく時にしか生まれないハーモニーがあります。

 往々にして私たちは、自分の価値観の中に他の人を押し込んでしまおうとしてしまうものです。あるいは相手に合わせて自分を無理に変えてしまうこともあるかもしれない。しかし、私たちはみんな違って良いのです。 もちろん、時にはあえて自分を変える姿勢も必要かもしれません。しかしそれは今までの自分を否定することではなく、自分を受け入れて、前を向いて成長していこうとする姿勢です。