コリントの信徒への手紙第一2章14節~3章3節
聖書はこの世には3種類の人がいることを言っています。3種類の人が各々どのように違うのかを見ていきたいと思います。
《一人目の人》
第一コリント人への手紙2章14節には非キリスト者がどのような人なのか描写されています。「生れながらの人は、神の御霊の賜物を受けいれない。それは彼には愚かなものだからである。また、御霊によって判断されるべきであるから、彼はそれを理解することができない。」(第一コリント2:14)この人はイエスキリストを心に受け入れてない人です。したがって神様との関係もなく、交わりも持ってない人です。
《二人目の人》
第一コリント人への手紙2章15節ではイエス様中心の人はこのような人だと描写されています。「しかし、霊の人は、すべてのものを判断するが、自分自身はだれからも判断されることはない。」(第一コリント2:15) この人はイエスキリストを心に受け入れた人です。したがって神様との関係もあり、交わりも豊かに持って生きていく人です。
《三人目の人》
第一コリント人への手紙3章1節で世的なキリスト者はどんな人だと描写されているでしょうか。「兄弟たちよ。わたしはあなたがたには、霊の人に対するように話すことができず、むしろ、肉に属する者、すなわち、キリストにある幼な子に話すように話した。」(第一コリント3:1) この人はイエスキリストを迎え入れ、神様との関係を持っています。しかし変わらない、自己中心的な人生で神様との交わりは途切れた状態です。このような状態では神様が子たちに約束した豊かな人生を生きることができません。多くのキリスト者が世に善い影響力を与えることができないのは、イエス様の教えが間違っているからでもなく、聖書の教訓が足りないからでもありません。ただキリスト者がイエス様の教訓と聖書の教えに不従順することによって世の光と塩の職分をきちんと担うことができないからです。今あなたの生活で不従順の姿によって神様と交わりが途切れないてはないですか?