イエスはそこを去って、会堂にお入りになった。すると、片手の萎えた人がいた。人々はイエスを訴えようと思って、「安息日に病気を治すのは、律法で許されていますか」と尋ねた。そこで、イエスは言われた。「あなたたちのうち、だれか羊を一匹持っていて、それが安息日に穴に落ちた場合、手で引き上げてやらない者がいるだろうか。人間は羊よりもはるかに大切なものだ。だから、安息日に善いことをするのは許されている。」そしてその人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。伸ばすと、もう一方の手のように元どおり良くなった。 (マタイによる福音書12章9節~13節)
ここに「片手の萎えた人」が登場します。伝説によるとこの人は、石を切り出す職人であったと伝えられています。怪我をしたのかもしれないし、病気になったのかもしれません。この人は片方の手が不自由になっていました。
聖書外の伝承では、この時この人は「イエスさま、私はレンガ職人で、この手を使って働いてきました。また仕事がしたいです。どうか私から恥を取り去ってください」とお願いした、と伝えられています。
主イエスはその人に、「手を伸ばしなさい」と言われました。この人にとって「手」とは、自分の最も痛んでいるところであり、すべての悩みの原因と言っても良い部分でした。自分にとって直視したくない現実であったかもしれません。まさにこの人の人生において、悩み苦しみの根源を象徴するものが、その「手」だったのです。
しかし、その「手」を伸ばしなさい、と主イエスは言われました。自分自身の最も痛んでいる部分をイエス様の前に差し出し、イエス様の御手に委ねて行く時に、私たちの癒しは始まっていくのです。