「およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。」(ヘブライ人への手紙12章11節)
試練そのものは喜ばしいものではありません。病気が良いものであるはずがなく、貧しさが良いものとして受け取られることもありません。失敗や挫折も、そのものが良い出来事ではありません。
しかし後になって振り返ってみると、「ああ、これでよかった」と思える時がきます。鍛錬を通して私たちは成長し、鍛え上げられるのです。試練に出会うその時は、悲しく感じられるけれども、後になって振り返ってみるとわかることがあります。試練を通ることによって結ばれた実を味わう時に、私たちはすべてを悟ることができるのです。それらは試練を通らなければ結ぶことのできなった実です。
植物が実を結ぶには時間がかかります。しかし、木々は知らない間にも日々成長しているように、私たちも日に日に育てられているのです。
何があっても大丈夫、心が平安で、安心していられる。そのような平和に満ちた実を結ぶ時がきます。だから今、私たちは、父なる神様がくださるどんな訓練も乗り越えていこうと思います。