「サタンがサタンを追い出せば、それは内輪もめだ。そんなふうでは、どうしてその国が成り立って行くだろうか。」(マタイによる福音書12章26節)
どのような国でも、どのような共同体でも、内輪もめして争えばうまくいくことはありません。二つのものがぶつかれば、両者共に壊れてしまうのです。あらゆる国家、共同体が、そして教会も歴史を通してその事を学んできたように思います。
主イエスは、悪魔ですら自分で自分の仲間を滅ぼしたりはしない、と言われました。それならば私たち人間にとって、共に生き、共に支え合うことが大切か考えさせられます。私たちはコミュニティを作り、交わりを持ち、絆を結びあって生きるように召されています。
新約聖書には「互いに」という言葉が50回以上出てきます。「互いに祈り合いなさい」、「互いに励まし合いなさい」、「互いに挨拶を交わしなさい」、「互いに受け入れ合いなさい」、「互いに尊敬し合いなさい」、「互いに仕え合いなさい」、「互いに赦し合いなさい」「互いに愛し合いなさい」・・・、以上のような教えが列挙されています。自明なことですが、どれも自分一人だけでは実行できないことなのです。
全てが満ち足りていたはずのエデンの園でさえ、神さまは「人が一人でいるのは良くない」と言われました。人は、他の誰かと、共に生きていくように造られているのです。