マタイによる福音書12章30節~32節
「だから、言っておく。人が犯す罪や冒瀆は、どんなものでも赦されるが、“霊”に対する冒瀆は赦されない。」(31節)
【すべての罪は赦される】
ここでまず強調されているのは、「人が犯す罪や冒瀆は、どんなものでも赦される」ということです。神様はすべての罪を憎んでおられます。私たちの犯すどのような罪も神様の前に受け入れられることはありません。しかし、神様はイエス・キリストにあって、私たちの罪をすべて赦してくださったのです。
ペトロは三度もイエスさまを知らないと言って、呪いの言葉さえ口にして、イエス様とのつながりを否定しました。けれども復活されたイエス様は、優しさに満ちた眼差しでペトロを見つめられ、赦してくださり、もう一度チャンスをくださったのです。
パウロは当初はイエス様の教えに反対する者でした。教会の人々を迫害し、捕らえては牢屋に閉じ込めていました。しかし、復活のイエス様はパウロにも出会われ、彼の罪を赦し、キリストのために生きるものへと変えてくださいました。
イエス様が私たちのすべての罪を十字架に担ってくださったことにより、すべての罪は赦されるのです。
【しかし、聖霊に対する冒瀆は赦されない】
しかし、聖書の中に唯一、赦されない罪として記されているものがあります。イエス様は聖霊を冒涜し、聖霊に言い逆らう罪を禁じられました。それはなぜでしょうか?端的に言えば、聖霊こそが私たちに赦しをもたらすお方だからです。
聖霊なる神様こそが、私たちに罪を自覚させ、私たちを悔い改めに導き、私たちを清め、私たちを信仰に導く方です。聖霊なる神様は、無理矢理に信仰を強いることはありません。疑いを持っている人を捕まえて、無理矢理、信仰の道に連れて行くこともありません。ただ優しく、私たちの心に語りかけるのです。 赦しが神様からの贈り物だとするなら、それを持ち運んでくださるのは聖霊なる神様です。神様はイエス・キリストという代価をもって、この赦しを与えてくださいました。『これはあなたのためのものです。受け取ってください』と聖霊なる神様は優しく語られます。今日も優しく私たちの心の扉をたたかれます。この”赦し”を受け取らないことが私たちのなしうる最大の罪です。”赦し”は神様から私たちへのプレゼントです。私たちはこの贈り物を心から感謝して受ける者でありたいと思います。