2022年10月23日「心の住人は誰ですか?」加山献牧師

マタイによる福音書12章43節~45節

 主イエスは人々の心が、主人のいない空き家のような状態になっていることを嘆かれました。主はあたかも次のように言われたのです。「私に出会うことはあなたの人生にとって、とても重要なことだ。しかし、私と出会った後も、私と共に歩み続けることは、もっと、さらに重要なことなのだ。」 また、ヨハネ福音書の15章においても、主イエスは次のように語られました。

 「わたしにとどまりなさい。わたしもあなた方の中にとどまります。枝がブドウの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなた方もわたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。」(ヨハネの福音書4節~5節、新改訳)

 ヨハネ福音書15章では、「とどまりなさい」という言葉が10回も繰り返して使われています。「とどまる」(ギリシア語でメノウ)の一般的な意味は、「滞在する、泊まる、宿泊する、いっしょにいる」という意味です。主イエスのもとにとどまり続けること、主から離れずに歩み続けるということの大切さが、ここで教えられています。

 「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。」(ヨハネによる福音書15章9節、新共同訳)