「しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。」(フィリピの信徒への手紙3章20節)
(1)私たちの国籍は天にある
第一に私たちの国籍は天にある、ということです。新共同訳の聖書では「本国」となっていますが、別の訳では「国籍」や「市民権」と訳されています。私たちが生きる上で、国籍とは大切なものです。国籍を持っていない人はいないと思います。私たちは皆、どこかの国の国籍を持ち、そこに属しているのです。
外国を旅する時、私たちは自分の国籍を証明するために、パスポートを持ち歩きます。同じように、私たちの国籍は天に属しています。そして私たちは日々、何気なく過ごしていますが、確かに私たちは天国の力に守られ、そこに属しているのです。
(2)天国の文化を持ち運ぶ
二番目に考えたいことは、“教会の使命は天国の文化をこの地上に持ち運ぶことにある”、ということです。フィリピはローマの植民都市でした。「小さなローマ」とも呼ばれていました。フィリピは商業的にも、軍事的にも、要所に位置していたので、ローマ帝国はこの街を優遇し、距離的に隔たっているにも関わらず、フィリピの人々には、ローマの市民権を与えていたのです。フィリピの教会の人々にとって「あなたがたの市民権は天にある」ということは、とてもわかりやすく具体的なメッセージでした。
フィリピはほとんどローマ風の街並みでした。人々はローマ風のファッションをしていて、ローマ風の料理を食べていて、完全にローマの文化を持っていたのです。パウロが、フィリピの教会に伝えかったことは「あなたたちはこの町にあって、神様の国を指し示す大切な存在なのだ」ということだったのです。私たちの教会もその使命を受け継いでいます。私たちもこの地にあって、天国を映し出す鏡のように用いられる天国の教会です。
3)やがて迎えが来る
三番目に考えたいことは、やがて迎えがくる、ということです。私たちはみんな、いつの日か必ず旅立っていきます。私たちはそのための準備をしておかなければなりません。この地上の人生がすべてではありません。この地上における人生は、本番前のリハーサルのようなものなのです。死の向こう側で過ごす時間の方がはるかに長く、私たちはそこで永遠の時を過ごすことになります。地上における人生は、永遠の生活に備えるための準備期間であり、予備校のようなものであり、試験期間のようなものです。