2022年12月18日「実現されたイエス様」吉田睿濫神学生

 イエス様がお生まれになったことによって実現された2つがありました。それは恵みと真理です。恵みは、実はずっと昔の世界が創造される時からありました。イスラエル付近の古代近東地方には人間創造の過程が聖書と似ている部分がありますが、これによると神が人間を作った目的が、ただ神たちの激しい争いの中で偶然にできた失敗作だということでした。しかし、私たちはただ神の世話役としての労働目的で作られた存在ではない。聖書では他の被造物を創造された時「バーラー(創造する)」を使っています。でも私たち人間を創られた時は、「ヤーツァール」という動詞が使われています。この動詞の意味は手を汚しながら土から作るという意味として使われていました。神さまが直接手を汚しながら造り、生まれた存在が私たちです。奴隷目的としてではなく、愛する目的で私たちは作られました。この恵みを私たちに知らせ、実現されたのがイエス・キリストでした。

 また、イエス様は真理の光として来られました。イエス様が光として来られた理由はこの世が暗かったからです。暗闇が意味するのは絶望であり、人間の罪です。まことの光は他の普通の光と違って、どれだけ外見を飾っていてもその人の内面までも照らします。そして、まことの光が照らされた時、私たちは初めて「私は罪人です」と告白できるのです。自分が罪人であると告白できて初めて神さまなしでは生きられないということに気づきます。そしてイエス様が実現した真理は、自分を罪人だと告白したものたちに希望を与えてくれます。その希望とは、そんな罪人さえも光によって変わることができるというイエス様の慰めなのです。

 このようにイエス様はこの世界に来られ、恵みと真理の2つを実現されましたが、最終的にイエス様が歩まれた十字架の道によって恵みと真理は間違いなく既に私たちのもとに届いています。神さまが私たちをご自分の御子を送るほどに私たちを愛されたからです(ヨハネ3:16)。