「また、天の国は次のようにたとえられる。網が湖に投げ降ろされ、いろいろな魚を集める。網がいっぱいになると、人々は岸に引き上げ、座って、良いものは器に入れ、悪いものは投げ捨てる。」(マタイによる福音書13章47節~48節)
マタイ13章には天の国に対する7つのたとえが記されています。最後の7つ目のたとえ話は“地引網のたとえ”と呼ばれています。イエス様の弟子のうち、四人はガリラヤ湖の漁師でした。弟子たちは幾度となく網を海に投げ入れて、網が魚でいっぱいになるごとに、力を合わせて、それを陸に引き上げてきました。そして売り物になる魚とそうでないものを仕分けしてきました。このたとえ話もまた、弟子たちにとって身近な、わかりやすい話だったのです。
広く広がる海は世界を表していて、網は教会を表しているとも言われます。この網の中にあらゆる種類の魚がいたように、世界中の教会にあらゆる人々が集まれられます。教会は人を分け隔てすることなく、多種多様な人々を受け入れていくのだと語られています。
しかし最後には、良い魚と悪い魚がより分けられる、というのです。マタイ福音書は全体的に、私たちの信仰だけでなく、信仰に伴うおこないを強調しています。イエス・キリストを信じるだけでなく、イエスさまが私たちに求めておられる生き方を実践しようではないかと、この福音書は語りかけるのです。
私たちは皆、いつの日か神様の前に立つ時がきます。その時に、私たちはどのような人生を生きたのか、神様の前に全ての日々を差し出すことになります。その時のために、今日という日に成しうる最善を尽くして備えている者は幸いです。