主イエスは十字架に引き渡される前の晩、弟子たちと共に、過ぎ越しの祭りを祝う食卓に着かれました。いわゆる“最後の晩餐”として知られている場面です。この食卓でイエス様はパンを裂き、ぶどう酒の入った杯を弟子たちに手渡されました。
やがて十字架において裂かれるご自身の御体と、流される血潮について語られました。以来2000年間、教会はパンと杯によってイエス様を記念し続けてきました。わたしたちが主の晩餐式と呼んでいるものがそれです。(教会によって聖餐式、聖体拝領など呼称が異なっていますが、信仰は同じです。) わたしたちは主の晩餐をおこなう事によって、以下の五つのことを想い起します。
① 主イエスの痛みを想い起す
私たちひとりひとりのために、主が負ってくださった犠牲を想い起します。
② 私の罪を想い起す
主は私たちの罪のために十字架につかれました。パンと杯はわたしたちの罪の自覚を呼び覚まします。
③ 十字架の赦しを想い起す
しかしその罪はすべて赦されました。主の十字架の血潮がすべての罪の代価を支払ってくださったのです。
④ 神の永遠の愛を想い起す
パンと杯は、どんなに時代が過ぎ行こうとも、決して変わることのない神さまの永遠の愛を示しています。
⑤ 主イエスご自身を想い起す
死の力をうちくだき、復活された主イエスは今も生きておられます。パンと杯は、その場所に現臨してくださる主の臨在を象徴してい ます。主の晩餐は、わたしたちひとりひとりに、主が共にいてくださることを何度でも教えるためのものです。