『母がその子を慰めるように』 加山献牧師
「母がその子を慰めるようにわたしはあなたたちを慰める。エルサレムであなたたちは慰めを受ける。」(イザヤ書66章13節)
① 慰め主である神さま
イザヤ書66章はイザヤ書の最後の章です。バビロンに捕囚として連れていかれたユダの民に預言者イザヤが語った回復と慰めのメッセージが込められています。
人間が生きていくうえで“慰め”は欠かせません。誰も戒めや叱咤激励だけでは生きていけません。人間は根本的に“慰め”を必要としている存在なのです。
② 命の源である神さま
ヘブライ語で“憐れみ”を意味する言葉のひとつに”ラハミール” (レヘム“子宮”の複数形)があります。母がその胎児を大切に育むように、神様は憐れみをもって私たちひとりひとりを包んでくださる、という信仰が込められています。人間が一生涯の中で最も強い安心感を経験するのは母親の胎内にいる時だそうです。聖書の神様を信じて生きていくということは、この神様の憐れみの中で慰めを受けつつ生きていくということです。
③ 人の愛を超える神さまの愛
人間の愛は不完全であるがゆえに、常に最善を尽くせるわけではありません。しかし、神さまの愛は完全であり、変わることはありません。
「女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。たとえ、女たちが忘れようとも、わたしがあなたを忘れることは決してない。」(イザヤ書49章15節)