2023年6月11日「何が大切なのか」加山献牧師

マタイによる福音書14章1節〜12節

 

【バプテスマのヨハネ】

「ヘロデは、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアのことでヨハネを捕らえて縛り、牢に入れていた。ヨハネが、『あの女と結婚することは律法で許されていない』とヘロデに言ったからである。」 (3節~4節)

バプテスマのヨハネはどのような人に対しても、臆することなく真実を語ることができる人でした。彼は常に正義を求め、正義の故に苦しむことも恐れない人でした。神を畏れる人(畏怖の念を持つ人)だったからです。

 

【領主ヘロデ】

「ヘロデはヨハネを殺そうと思っていたが、民衆を恐れた。人々がヨハネを預言者と思っていたからである。」(5節)

領主ヘロデはヨハネが正しいことを語っていると知りつつも、それを受け入れることができませんでした。良心の声に耳を傾ける生き方ではなく、自分自身の欲望に従う生き方でした。成すべき務めに勤しみ充実した日々を送ることもできたはずでしたが、ヘロデは周りの評価を気にしながら、心が休まらない日々を過ごしたのです。

 

【ヨハネの弟子たち】

「それから、ヨハネの弟子たちが来て、遺体を引き取って葬り、イエスのところに行って報告した。」(12節)

ヨハネの弟子たちにとって、人生の中で一番辛い、一番暗い1日でした。自分の師を葬り、そして彼らはイエスのもとに向かいました。人の痛みを知り、深く同情し、慰めを与える救い主のもとに向かったのです。それは最も深い苦しみの中でとることのできる、最善の行動だったのです。

もし人生で最も辛いと思えるような日が訪れたら、いったい私たちは誰のところに向かうでしょうか。私たちは主イエスのもとにいき、すべてを打ち明けることができます。私たちの生活の中の大きな問題も小さな問題も、すべてを彼の元に携えて行くことができるのです。そこで私たちは人生の重荷をおろすことができます。