マルコによる福音書15章25節~41節
今朝は、招きの言葉、イザヤ55章の「聞き従って、魂に命を得よ」のみ言に従い「十字架と復活」特に「イエスの死」の贖いを信じて生きることを願っております。
さて、マルコ15章は夜明けとともに行われた不当な裁判から始まっています。前の晩、最後の晩餐の後、オリーブ山のゲッセマネの園での祈りの後で捕らえられ、先ずは大祭司の家に連行され、夜が明けるとすぐ最高法院に、次はピラトの総督官邸へ、ピラトはヘロデ・アンテパスのもとに送り、ヘロデはイエスを尋問し罵り、ピラトのもとに送り返した。ピラトは祭司長たちの妬みでありイエスに何の罪も見出せなかったが、騒ぎを鎮めるため、死刑の許可を下したのです。
25 イエスを十字架につけたのは、午前9時であった。
27 また、イエスと一緒に二人の強盗を、十字架につけた。
群衆、祭司長たちも律法学者たちと一緒になって、イエスをののしって言った。
30 十字架から降りて自分を救ってみろ。」「他人を救ったのに、自分は救えない。
32 それを見たら信じてやろう。」
しかし、全人類の罪を贖うため、ご自分は十字架から降りることをしなかったのです。
33 昼の12時になると全地は暗くなり、それが3時まで続いた(アモス8:9~)
「神はわたしたちの罪のために、罪を知らない方を罪となさいました。
それは、わたしたちが彼にあって神の義を得たのです。」(第2コリ5:21)
「私たちの罪を、すべて彼に負わせられた。」(イザヤ53:6)
3時にイエスは「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか。」
38 すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。
長さ20m×幅10m、厚さ10㎝の幕。年に1回、大祭司が入ることができた。
至聖所の幕が、上から裂けた。このことによって誰でも自由に神に近づくことができるようになったのです。
39 百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのをみて、「本当に、この人は神の子だった」と言った。
イエスさまの十字架上での最後の言葉は「成し遂げられた。」(ヨハネ19:30)です。 救いの御業は完成、完了しているのです。アモス8:11~をぜひお読みください。