「人の子(=キリスト)は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」(マルコによる福音書10章45節)
チャック・コルソンという人は次のように言いました。「人類の歴史を振り返ってみると、多くの王や支配者は、自分たちのために多くの国民を戦場に送り出し犠牲にしてきた。でも私は、自分の国民のために自らの命を進んでささげられた王をたった一人だけ知っている。ベツレヘムにユダヤ人の王として生まれ、ゴルゴタの丘でユダヤ人の王として死なれた方、イエス・キリストだけなのだ。彼は自分のために他の人を犠牲にするのではなく、世界のすべての人のために、自らを犠牲にした。」
クリスチャンとはキリストに似た者、という意味があります。キリストが仕えるために生きられたように、私たちにも神に仕え、世に仕えていく使命があるのです。
しかし、このメッセージはただ仕えることを強制するものではありません。むしろ、仕えることによって私たちが成長し、喜びを見出すためのメッセージです。他者のために尽くすことで、実は私たちは自分自身の存在意義をも再発見し、真の幸福を見つけることができます。
私たちは、日常生活の中でさまざまな役割を果たしています。家族や友人、仕事や学校、地域のコミュニティなど、私たちが関わるすべての場所で、仕える機会があります。私たちは日々の生活の中で、小さな善いおこない、思いやりの行動を積み重ねて、仕えていくことができます。なにげない笑顔や感謝の言葉を口にすること、困っている人を助けることや、自分の時間や才能を他の人のために使うことなど、さまざまな方法で仕えることができます。私たちに未来を約束しています。仕えることを通じて、私たちは愛と喜びに満ちた人生を築くことができます。