「世は人をつまずかせるから不幸だ。つまずきは避けられない。」(マタイによる福音書18章7節)
世の中が信仰につまずきをもたらす、と主イエスは言われました。この世界は私たちから信仰を奪おうとするものなのだ、というのです。マタイによる福音書が書かれ、読まれた時代は厳しい迫害の時代でした。時に迫害が人々から信仰を奪うことがあったのです。
しかし、現代に生きている私たちは、迫害の中に生きているわけではありません。むしろ、今の日本は信仰の自由が保障されているのです。確かに世界には様々な問題が存在しますが、それでも教会の外にも素晴らしい世界はあるのです。信仰がなかったとしても、親切で、愛情深く、良心的な人々もたくさんおられます。私たちの住むこの世界は、いかにして私たちの信仰につまずきをもたらすというのでしょうか?
次のように考えることができるかもしれません。この世界は素晴らしいからこそ、信仰のつまずきとなりえるのです。私たちは神様に頼らなくても、生きていける社会に生きています。別にイエスさまを信じなくても、幸せに生きていける世界に、私たちは生きているのです。これこそが現代に生きる私たちの最も大きなつまずきとなっていると言えます。
一方で、本当は誰もが神様を求めていると聖書は語ります。旧約聖書には「神は人の中に、永遠を想う心を造られた」という言葉があります。心の深い部分では、私たちは皆、この世のものでは満足できないのです。
この世界が私たちに提供する楽しみと喜びは素晴らしいものだと思います。しかし忘れていけないことがあります。この世界は神様が造られた世界である、ということです。この世界の善きものを味わう時、私たちはこの世界を造られた方がどれほど善いお方であるのかを思い起こす機会を得るのです。もしそうでないならば、この世界は私たちにとって信仰のつまずきとなるでしょう。つまずきは避けられないと、イエス様は言われました。しかし私たちは、つまずきから立ち直り、倒れても立ち上がる信仰を求めていきたいと願います。