「あなたがたはどう思うか。ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか。」(マタイによる福音書18章12節)
ヨハネによる福音書の10章でイエス様は言われました。「私は良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。」 文字通り、主イエスが十字架に命をささげるほどに、私たち一人一人は愛されているのです。
主イエスにとって私たち一人一人は100分の1の存在ではありません。誰もがかけがえのない一人としての命の価値を与えられています。もし私たちが人生において道に迷い、失われた者となるならば、主は私達を求め、どこまでも探しに出かけてくださるのです。アウグスティヌスという人は次のように語りました。
「もし世界に人類が私一人しかいなかったとしても、イエス様は私のためにベツレヘムに生まれてくださっただろう。もし世界に私一人しかいなかったとしても、イエス様は私のためにカルバリの十字架についてくださっただろう。」
主イエスはマタイによる福音書の文脈の中で次のようにも語られました。
「これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。」(マタイによる福音書18章10節)
マタイによる福音書18章の主題は共同体の中での人間関係です。この世界に住む一人一人が、また教会にいる一人一人が神様の目にかけがえのない大切な存在です。故に私たちも隣人の存在を重んじ、主が私達を求めてくださるように、他者の内に価値を見出し、隣人の内に輝くかけがえのない光を見る者でありたいと願います。神様が見つめられるようにすべての人を見つめることができれば、このこと以上に幸いなことはありません。