2024年4月21日「見よ、キリストが戸の外に立ってノックしておられる」今村まさゑ協力牧師

今朝は聖書66巻の最後、ヨハネ黙示録の御言葉を頂き礼拝を捧げてまいりましょう。まず、第1章1~5節を読みましょう。キリストから7つの教会へのメッセージです。

7番目のラオデイキア教会は、トルコのフルギヤの主要都市の一つで、紀元前3世紀中頃にアンテイオコス2世によって創設され、妻ラオデイケの名にちなんで命名された都市です。

イエス・キリストのことを「アーメンである方、誠実で真実な証人、神に創造された万物の源である方」と紹介。「アーメン」は「そのとおりです、従います。」との信仰の表明の言葉です。「真実な証人」とは、イエス・キリストが、私たち罪人が悔い改めて信仰に至たり、死に至るまで神を信じぬいたことを見届け、父なる神に証言して下さるという意味であり、「万物の根源である方」とは、天地創造のはじめよりいました先在のキリストということです。

そのイエス・キリストが次のように言われているのです。

「わたしはあなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく熱くもない。むしろ、冷たいか熱いか、どちらかであってほしい。熱くも冷たくもなく、生ぬるいので、わたしはあなたを口から吐き出そうとしている。」 ラオデイキアのクリスチャンの実態は生ぬるいものでした。真に、痛烈なことばです。物事の善悪に鈍感であり、言行不一致、臆病、優柔不断、付和雷同など、主キリストにとって我慢ならない事でした。

にも拘らず、『わたしは金持ちだ。満ち足りている。何一つ必要な物はない』と言っているが、自分が惨めな者、哀れな者、貧しい者、目の見えない者、裸の者であることが分かっていない。」と、キリストは指摘しておられます。

18節「そこで、あなたがたに勧める。裕福になるように、火で精錬された金をわたしから買うがよい。裸の恥をさらさないように、身に着ける白い衣を買い、また、見えるようになるために塗る、目薬を買うが目よい。」それらをキリストは無償で与える。(イザヤ書55:1~5)「わたしは愛する者を皆、叱ったり、鍛えたりする。だから、熱心に努めよ。悔い改めよ。」

5番目のサルデイスの教会のような、死んだような信仰であっても死人を甦らせて下さる神は、私たちの信仰をも甦らせ、命に至らせてくださいます。

20節「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれか私の声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。」「勝利を得る者を、わたしは自分の座に共に座らせよう。わたしが勝利を得て、わたしの父と共にその玉座に着いたのと同じように。」

何という有難いお言葉でしょうか。勝利とはサタンに勝つことです。「神によって生まれたものは皆、世に勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。」(第一ヨハネ5:4) また、勝利とは自己に打ち勝つことでもあります。「耳ある者は、“霊” が諸教会に告げることを聞くがよい。」