「あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。」 (第一ペトロ4章10節)
私たちの身の回りでも“カリスマ”という言葉は身近に使われています。カリスマ美容師、カリスマ塾講師、カリスマシェフなど、人々を惹きつけるような魅力や技術をもっている人が“カリスマ的な人”と表現されています。私たちの文化では、”カリスマ的な人”とは、ある一握りの、特別な才能や魅力を持った人である、というイメージがあるといえるでしょう。
しかし、この“カリスマ”という言葉が聖書由来の言葉であることは意外と知られていません。早良教会の2024年度年間聖句にも登場する“賜物”(カリスマ)という言葉がそれにあたります。それは“恵み”(カリス)という単語から派生した言葉で。神さまから与えられた恵みの(無償の)贈り物を意味しています。
① それぞれに与えられているギフトがある
「あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから・・・」 とペトロは語っています。ここで大切なのは、ひとりひとり、誰もが賜物を受け取っている、ということです。あなたもわたしも、もれなく賜物(カリスマ)を受け取っているのです。
賜物という言葉は一義的に才能や働きを指していますが、忘れてならないのは、私たちの命そのものが神様からいただいた最高のギフトである、ということです。ひとりひとりの存在そのものが、この教会において、それぞれの職場やご家庭において、神様からの素晴らしい贈り物として輝くのです。そのことを忘れずにいたいと思います。
② 管理者としての働きがある
「神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい」 とペトロは続けています。
管理者(オイコノモス)とは、大切なものを任された召使いを意味する言葉です。当時のユダヤでは大切なものを管理させていただけるということはとても光栄なことでした。
私たちは与えられた恵みを管理するために召されています。私たちの健康や時間、財産や能力を良く管理し、それを神さまのために、また他者のために用いることが期待されているのです。