食事を共にしていた客の一人は、これを聞いてイエスに、「神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう」と言った。そこで、イエスは言われた。「ある人が盛大な宴会を催そうとして、大勢の人を招き、宴会の時刻になったので、僕を送り、招いておいた人々に、『もう用意ができましたから、おいでください』と言わせた。」(ルカによる福音書14章15節~17節)
主イエスはしばしば神の国を宴会にたとえて語られました。それは盛大な宴会であり、大勢の人が招かれているのです。しかし続く18節から20節にかけて、その招きを断る人々の姿が描かれています。
「すると皆、次々に断った。最初の人は、『畑を買ったので、見に行かねばなりません。どうか、失礼させてください』と言った。ほかの人は、『牛を二頭ずつ五組買ったので、それを調べに行くところです。どうか、失礼させてください』と言った。また別の人は、『妻を迎えたばかりなので、行くことができません』と言った。」(ルカによる福音書14章18節~20節)
わたしたちは日常の生活の中で、さまざまな働きのためにとても忙しくしているものです。その忙しさの中で大切な招きに与っていることをついつい忘れてしまいそうになることがあります。わたしたち一人一人は神さまからの招待状を受け取っています。それはどんなものにもまさる、価値のある招きなのです。
次に宴会を主宰する主人(=神さま)は、貧しい人々、体の不自由な人々を招きます。さらには「それでもまだ席があります」と報告するしもべに対して「通りや小道に出て行き、無理にでも人々を連れて来て、この家をいっぱいにしてくれ」と懇願するのです。
天の神さまはひとりでも多くの人が救われ、天の宴会の席につくことを心から願っておられます。その救霊に対する情熱はわたしたちの想像をはるかに超えるものなのです。神さまの招きに応え、楽しい宴会に向かって一歩を踏み出しましょう。