神様には目指しておられるゴールがあります。それは“平和”というゴールです。今、世界は不完全で、あらゆるところに紛争があります。痛みや憎しみが渦巻く世界ですが、神さまが最終的に私たちを導きたいと願っているのは完全な平和がある世界なのです。
イザヤは、今からおよそ2700年前に活動していた預言者です。当時ユダヤは、北はアッシリア帝国、南はエジプトと、大国に挟まれて肩身の狭い思いをしていました。当時のエジプトとアッシリアはずば抜けた軍事力を持ち、ユダヤの国もその他の小さな近隣の国々もどちらに着くかで右往左往していました。しかし神さまはイザヤを通して不思議なことを語られたのです。
「その日には、エジプトからアッシリアまで道が敷かれる。アッシリア人はエジプトに行き、エジプト人はアッシリアに行き、エジプト人とアッシリア人は共に礼拝する。」(イザヤ書19章23節)
”その日”とは神さまがやがてすべてを完成し、すべてを修復し、すべてを癒してくださる日、世界があるべき姿に回復される日のことを指しています。”その日”がやってくるのだ、と聖書は語るのです。
ここに聖書の大切なメッセージがあります。この世界の歴史は、神がおさめておられる、ということです。人の罪がどれほど深かったとしても、神さまが未来をその御手の中におさめておられるのです。この世界の歴史には、終着点(ゴール)は「救いの完成」です。救いの完成の時、国と国との間に、民族と民族との間に、人とその他全ての被造物との間に完全な和解が与えられます。
しかも神様はそのような未来を、人間を通して完成させたいと願っておられるのです。新約聖書の中で主イエスが「平和を造り出すものは幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる」と語られたのはそのことです。
エジプトからアッシリアまで敷かれる道は、戦争のための道ではありません。これは平和のための道です。かつて戦争をしていた国々、対立していたもの同士が和解するための道であり、一緒に神さまを礼拝するための道である、というのです。これが神様の抱いている偉大なビジョンであり、私たちの未来です。