2024年7月28日「神をほめたたえよう」加山彰一師

エフェソの信徒への手紙1章3~14節

エフェソの信徒への手紙は、不特定の教会や小アジア地方の諸教会を念頭に置いて書かれた可能性が高いとされています。いわゆる「回覧書簡」というものです。それであれば、現代に生きる私たちにも差し出されていると言えるでしょう。自分の事として読んでいただきたい。

さて、私たちは心から神をほめたたえているでしょうか。私たちが神をほめたたえるのは、神の恵みの賜物の豊かさにあずかっているからです。一方、神の恵みは、神は御子イエス・キリストにあってあらかじめ定められた計画に従って行動されます。それゆえに、私たちは、常に神がどのような恵みを与えてくださっているのかを見極めなければならないのです。

神の最大の恵みとは何でしょうか。それは、神の不思議な計画の中にあります。神は私たちを愛して、聖なる者にしようとキリストにおいて選んでくださいました。私たちが神を選んだのではありません。神がキリストを通して私たちを選んでくださったのです。選びの主権は、神にありです。「私は、私は、」「私が、私が」と言っている人は、神の選びの本質を知りません。なぜなら、主イエスが主人ではなく、私が主人だからです。信仰者は、イエス・キリストを主として生きるのです。それゆえに、神の恵みの賜物は、主イエスを通して与えられる神の恵みのゆえに、主イエスを信じる人に与えられるのです。

聖書の語る「恵み」は、救いと関連しています。つまり、御子イエス・キリストが十字架で血を流されたことによって贖われ、私たちの罪が赦され、救われました。これが神の豊かな恵みです。罪深い私たちが主イエス・キリストの十字架の贖いを通して、罪赦された者として生きることができるのは、何と幸いでしょうか。

ところで、「時が満ちる」とは、すべてのものの主であるイエス・キリストのもとに一つにまとめられること、これが救いの完成です。教会の主であるキリストは、ご自身のもとに集う信仰者を温かく包み、そして、日々の生活を守り支えてくださっています。教会は、キリストに呼び集められた弟子として、終わりの日まで主イエスと苦楽を共にするのです。

さらに、神に救われた人たちには、主イエスが約束された聖霊の証印が押されているのです。私たちは、この手紙を受け取った人たちと同じように、救いをもたらす福音を聞き、神を信じて約束された聖霊の証印を押されて、今、ここにいるのです。聖霊による証印は、神のものとなった証しですので、消えることがありません。それゆえに、私たち教会は、神に贖われた者として神の栄光をほめたたえて生きるのです。