コロサイの信徒への手紙3章1節~17節
「また、キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。」 (コロサイの信徒への手紙3:15)
ここでパウロは二つの文法を使っています。一つ目は直接法と呼ばれる「なになにである」という事実として主張する文法です。この15節の後半は、直接法の例があります。「この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。」 パウロはコロサイの教会の人たちに、キリストにあって彼らが置かれている位置・状態はどのようなものであるかを明らかにしようとしています。
「一つの体とされた」――あらゆる人を分裂させる壁が壊されたとの主張です。出自的、宗教的、文化的、教育的な違いや社会の地位の違いのすべてがキリストによって破られているとパウロは教えています。
二つ目(命令法)は次の言葉の中に現れます。「キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。」
「支配」という言葉は、もともと審判員に判断を委ねるという意味であったそうです。英語のグッド・ニュース訳聖書はこの部分を次のように表現しています。「キリストが与えてくださる平和はあなたがたが物事を決めるときにあなたがたを導くためです。」
選択権は私たちに与えられています。キリストの平和が私たちの心を支配するかどうかは私たちの選び取りにかかっています。