「祝福の源を保つ」加山献牧師
出エジプト記20章14節、マタイによる福音書5章27節~28節
十戒の第七戒は「姦淫してはならない」という戒めです(出エジプト記20章14節)。聖書全体からこのテーマを考えていきたいと思います。
A) 禁欲を教えているわけではない
よく誤解されがちですが、聖書は人に禁欲を命じているわけではありません。創世記で人を創造された神は「産めよ、増えよ、地に満ちよ」と人に命じられました(創世記1章28節)。それはこの世界を祝福で満たしなさい、という神さまの願いでした。性は祝福の源として人類に与えられたものだったのです。
B) 結婚という関係を重んじる教え
ヘブライ語の「ナーアフ(姦淫)」は結婚している人が伴侶以外の人と関係を持つことを指す言葉でした。あるドイツ語訳の聖書はこれを「結婚を壊すことなかれ」「結婚を傷つけることなかれ」と訳しているそうです。「姦淫するなかれ」と神さまが命じられるのは、結婚から外れた男女関係が例外なく人を不幸にするからです。聖書は結婚という関係を大切にしなさい、あなたの伴侶だけを愛しなさい、と命じます。それが私たちの祝福の源だからです。
C) イエスさまの教え(1)
イエスさまは、行いだけではなく、その根源である私たちの心の中の思いが罪なのだと言われました。それは非常に厳しい言葉でした。(マタイ5:27~28) すべての人が神様の前では例外なく罪人であるから、謙遜になり、悔い改めと共に生きていきなさい、と主イエスは語っておられるのです。
D) イエスさまの教え(2)
さらにイエスさまは、姦淫の女に対して次のように語られました。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」(ヨハネ8:11)私たち一人一人も、この赦しと派遣の間にいるものなのです。